016
股旅社中 東京~川崎ツアー
[創建舎・丸晴工務店]

 

大工職人が光る二つの工務店@東京都市圏

ハウスメーカーが建てる家は、大工の職人技術に代わるエンジニアリングを進化させ、工場で木材加工を済ませることで大工職人がいなくても建てられる家を普及させてきました。 結果、大工は高齢化し、住宅の建築現場では人手不足問題が一般的な問題となっています。
しかし、今回ツアーを企画した創建舎〈東京都大田区〉と丸晴工務店〈神奈川県川崎市〉は、こうした世の中の流れに真っ向から立ち向かう、 社員大工が活躍する工務店です。世の中に立ち向かおうとしているわけではなく、それそれが信じて目指す木の家を実現するためには大工職人の技が必要だからという、 必然の大工工務店ということではないかと思っています。
1日目の創建舎は、プランニングスタッフと大工の人数が五分五分といった人員構成。新しいデザインと大工技術の切磋琢磨で豊かな家づくりを目指す工務店。 2日目の丸晴工務店は、宮大工の仕事に仕えることから数えて大工歴60余年、川崎マイスターでもある棟梁が営む手刻み専門の大工工務店。股旅社中のメンバーで視察、見学してきました。


設計プラン× 大工仕事、ここまでチャレンジするのか。

創建舎が案内してくれた完成間際の現場は、店舗のある住まい。お客様は造園家ということで、近い業種の人に選ばれるというのも創建舎の地力を示しています。
住まいと店舗と、物理的にはっきりと仕切るのでなく、空間のつながり方や視界の変化で店舗と居住スペースと、繋がっているようでちゃんと区分けされています。 変化に富みながら、落ち着いた雰囲気なのは、狭小住宅ではありませんが都圏ならではの敷地事情に対応して、内なる景色や光と影と気配の演出が巧みにプランされた空間だと思いました。 和風ではないけれど、日本の住まい、日本人の感性に合っている。
大工の技術が活かされた、木の家ならではの豊かな気持ち良さを感じました。

この日、創建舎がもう一つ披露してくれたのは、オリジナルの建具・家具・住宅備品を開発するプロジェクト。 創建舎では設計プランニングスタッフがテーマを決め、定期的にミーティングを行い、デザイナーの村澤一晃と共に開発ワークショップを行っています。 この日は、何度目かの試作をおこなってきたアイテムのプレゼンテーション大会でした。
窓際に設置する木製室内布団干しバー。奥行き極薄の家具にもなる間仕切りパネル。断熱防水性にすぐれた壁埋め込み郵便受けは丸晴工務店との共同開発。 いずれにも共通しているのは、既製品や規格品に飽き足らないからといって「そんなものまで作ろうとしているのか」、と思わせるということです。 見るところ、完成度を高めるには、あるいは完成にいたるには、まだまだ練らなければならないものが多いと感じます。 しかし、普通ならやれることをやる、得意を生かす、というように取り組みのでしょうが、創建舎はできないことや、やってみないとわからないことを探求している。 わざわざ藪に踏み込んでいくような姿勢に凄さを感じます。突飛なアイデアのようでいても、発想の発端は設計プランにおける切実な課題です。 開発アイテムの試作検証は大工職人との共同ワークで行っていますが、取り組み方として地に足のついた手法だと思います。かなり挑戦的なことに手間暇をかけています。 完成を断念したものも多いかもしれません。モノの採算を考えたらできないことだと思いますが、この開発活動がスタッフ一人一人を刺激し、共同ワークとコミュニケーションの能力を高め、 創建舎の家づくりを高めていくのだと思います。
こういう取り組みは、オーラのようににじみ出て、お客さんの信頼や安心につながるのだろうと思いました。


大工が大興奮する銘品。 道具に宿る家づくりの心。

2日目の丸晴工務店は、事務所周辺の加工場と木材倉庫の見学からスタート。
少数精鋭の大工職人たちは現場に出かけているため、工場はフル稼働というわけではありませんが、加工途中の丸柱の仕口の迫力や、鉋の削り屑の薄さとツヤにも、 さすがと感じさせるものがあります。
材料倉庫は宝の山です。今では手に入らないような国産の大径木や、間違いなく美しい杢を見せるであろう希少材が山積みになっています。
高級だから、ということでなく、材料にこだわる大工の思いが倉庫に詰まっていました。
取締役の濃沼広晴は、自身は大工ではなく教鞭もとっている建築士ですが、自社の家づくりについて、「大工と建てる家づくりの楽しさを伝えたい」と話します。
「手刻みの仕事というのは、大工が自分の手で柱も梁も仕上げることで、材の素性を全て把握します。柱や梁の一本一本を見極めて適材適所で使う場所を決め、 最適な面の向きや加工する方向決めます。そんなふうにつくる家をお客さんにも共有してもらうことは、とても楽しくて嬉しいことだと思うのです」。 手刻みだから、昔ながら手間暇かけるからそれだけでいいということでなく、そうやってつくる家には、息の長い真の価値がそなわるということではないかと思いました。


ミーティングルームには、使い古された何百という道具が置かれていました。玄翁、鉋、鑿、鋸、墨つぼ、名前も使い方もわからない道具もいろいろです。 どれも古く、木も鉄も深く光っています。いずれも丸晴工務店の棟梁であり代表の濃沼晴治に使い込まれた道具です。鑿の刃は長年研がれ続けて、 鯨の尾ひれのようなプロポーションにまで短くなっています。
棟梁が道具の話をしてくれました。「大工はいい道具を使わなくちゃならない。若い頃の給金はぜんぶ道具に使いましたよ」と。
それは、道具にこだわるのは、自分の仕事にこだわりと誇りを持つという話でした。創建舎の大工職人たちは、濃沼棟梁の話に引き込まれ、 目を輝かせます。棟梁も、道具に目を輝かせる仲間と向き合ってますます話が盛り上がります。 大切にしている鉋や鑿の名品も披露してくれました。値段を聞くと驚くような道具を無造作に広げて自由に触れさせくれます。 いい道具を手にする大工たちの姿は、まるで名刀を手にする侍のようで。 こんな大工たちの姿を見ると、木の家を建てるなら大工道具をちゃんと使いこなせる大工に建ててもらいたいと誰もが思うのではないでしょうか。